これまで訴えてきたこと

日本の人口の減少傾向はまだ始まったばかり。これからまだまだ少子化・高齢化が進んでいくのです。
右の図は、私が大学を卒業した1990年から2030年まで40年間の千葉県の人口推移(一部推計)です。2000年から2010年の10年間で65歳以上の人口は約50万人増加しました。また、2010年から2020年までの10年間で65歳以上の人口は約40万人増えると考えられています。
いま中学一年生の子どもたちが成人する2020年においては、千葉県における65歳以上の高齢者率は実に28.9%。15歳から64歳までの生産年齢と言われる世代が二人で一人の高齢者を支える時代になると言われています。
その、生産年齢人口もまた、2010年から先の10年間で一気に36万人減少すると計算されているのです。消費税も上がり、エネルギーコストもいま以上に上がっていることでしょう。5年後の2020年、53歳となった私は家族5人で家計を切り盛りしながら2.5人の高齢者の生活を支えていかなければならなくなるのです。そしてその状態は更に10年、私が高齢者と呼ばれる年齢になるまで続き、私たちの子どもたちの双肩に重くのしかかっていくのです。

国勢調査の数字をもとに東金市の人口について調べてみました。すると「総世帯数に対して単独世帯の割合が高い(県内9位)」「総人口に対して外国人比率が高い(県内6位)」「昼夜間の人口格差が少ない(県内7位)」など近隣の自治体と比較して特徴的な部分が浮き彫りになってきました。
下の表は、お隣の大網白里町との昼夜間人口の比較です。東金市はこれといった地場産業があるわけでもないのに毎日1万人以上の人が通勤で当地を訪れ、3千人以上の学生が通学して来ているのです。まったく実感がありませんが、つまり東金市には既に観光地でもないのに年間のべ300万人以上の人が訪れるというポテンシャルがあったのです。今年、城西国際大学には看護学部が新設され、2014年には東千葉メディカルセンターがオープンすることからも、この傾向はまだまだ継続していくものと思われます。
それだけ通勤・通学する場所があるということは日々の来訪者だけでなく、異動や卒業までの一定期間だけ東金市民になっている人も多いということが想像できます。法改正により、今年8月から総人口に外国人もカウントすることになりましたが、東金市には約1200人もの外国人の方々が住んでいることもまた、ご近所の市町村と比較しても顕著な点でした。
人口減少社会では、人口密度ではなくヒトの関係の密度が地域の活力を左右します。通勤通学で平日昼間は東金を離れている人、何処かのまちに住んで平日昼間だけ東金で過ごしている人、一時的に東金市民になっている方々にも、まちに溶け込んでもらえる機会があると一気に交流人口が上がる気がしてきました。

一方で、東金市はまだまだ「近隣自治体に比べて人口減少も緩やか」「若い世代も多い」という言葉を耳にすることがあります。はっきりした数字は分かりませんが、東金市には一時的に市民になっている若い世代が少なからずいて、もし、仕事や学業のためにいまの時期だけ東金市民になっているような方々がまちづくりに参画できないとすれば、東金市はデータで言うほど若い世代を活用していないと思わざるを得ません。
まちづくりを地縁団体、行政サービスに依存している自治体では、あらゆる組織が高齢化・形骸化・膠着化してしまっています。数少ない若手は幾つもの下請仕事を掛け持ちし、経験豊富なリーダーが何人もいて世代交代が出来ずにいます。先進的な自治体では、そうした事態に危機感を持っているので、年齢や性別、職業を問わず、やる気とタレントのある人材が新しいさまざまな分野に参画できる仕組みづくりに取り組んでいます。
東金市のような特徴を持たず、人口も少ないはずの山武市や大網白里町のほうが総人口あたりのNPO法人の登録件数がだんぜん多いところなどを見ると、持続可能な将来を見据えたまちづくりという点では一歩リードされている気がします。東金市でも他の地域からの定住者はもちろんのこと、学生を含めて将来的に土地を離れる可能性のある若い人たち、そして人生の最終章に入った高齢者の方々が、自分の趣味や経験を活かしてボランティアに参加したり、コミュニティ・ビジネスで「地域デビュー」したりして活躍することができる体制を整備する必要性があります。
どこの自治体の財源にも限りがあります。安心安全、環境保全、リサイクル、介護福祉、健康増進、文化芸能、清掃整備、青少年育成などなど、サバイバル時代の地域づくりは住民のパワーがいかに発揮できるかにかかっているのです。
発想を逆転して考えれば、高齢者が増えるということは、その人口だけの知識や知恵、経験、人脈が地域に還元される機会が増えるということにほかなりません。どの地域においても、年齢で線引きをせず、まだまだ元気な方にはもっと活躍できるチャンスを作り、同時に若い活力が精力的に働くことを支援する仕組みの整備が急がれています。
東金市に住んでいるいないにかかわらず、東金をフィールドに生活している人々が、老いも若きも、男も女も、外国人の方でも、地域の課題解決に向かって持てる力を発揮できるようなまちになれば、人口減少など怖くないはずなのです。

昨年、東金商工会議所青年部で勉強会をしていた時に、あるひとつの指標と出遭いハッとしました。

  日本の人口ひとりあたりの年間個人消費額は約124万円

  人口ひとり減少するごとに我が国の経済規模は124万円ずつ減少する

という試算でした。観光立国を合言葉に政策を推し進める観光庁は、人口減少社会の中では観光消費を上げて経済規模の縮小を食い止める必要があると力説します。ちょっと乱暴な論理だと感じはしたものの、とてもシンプルで分かり易い計算です。ひとりの定住者が減った場合の減少額約124万円を観光による来訪者などの交流人口向上で穴埋めするとしたら、

外国旅行者 7人/年間
国内旅行者(宿泊) 24人/年間
国内旅行者(日帰り) 79人/年間

になるという数字を突き付けられて、私は考え込んでしまいました。この国で起きている問題は、そのまま私たちの住む東金市にもあてはまる問題だからです。人口減少社会がもたらす経済規模の縮小は私たち零細自営業者にはまさに驚異です。 そこで考えるべきことは、どうやったら交流人口が上がるのかということです。

九十九里平野にあって海岸線を持たない東金は、いわゆる観光地ではありません。しかし、前回のチラシでご紹介したように、私たちは東金市が実に年間300万人以上の通勤通学者を呼び寄せる求心力を持っているという事知りました。こうした通勤通学による来訪者は、人事異動がない、もしくは在学している限りは毎日当地を訪れています。この種の来訪者らは、日常的に東金市の実情を知るいわば「準市民」とも言えます。この人たちにも社会参加するきっかけを作ることができると面白くなって来るのではないでしょうか。 「城西国際大学」には毎年全国(世界中)から学生が入学し、同時に多くの卒業生が全国(世界中)へ巣立っていきます。東金市で過ごす学生時代に僅かでも社会参加して貰い、素敵な想い出と共に卒業の日を迎え、またいつの日か東金に戻って来て貰えるような交流があっても良いと思われます。また、知的財産の活用という面においても大学には地域の課題解決の良きアドバイザーとなってくれそうな専門家が数多く在籍していると考えられるため、市民講座などを積極的に発信して大学と地域住民との縁を取り持って行くことも重要であると考えます。

逆に市内に住んでいて、普段は通勤や通学で当地を離れている人も多いことでしょう。こうした方たちは、地域以外のところに日常の大半を割いているため、地元の人脈も薄く、事情にもそれほど明るくないというケースもあるのではないでしょうか? 人口減少社会の中において若い世代の人口流出、つまり若者の地元離れは非常な痛手になります。東金市は、働き盛り・学び盛り・遊び盛り・食べ盛りの世代にとって、ずっと暮らしていきたい故郷になっているでしょうか? そういう意味でも、将来を見据えて子どもたちも含めた地域内交流・社会参加の機会を増やしていきたいものです。 現代は、見ず知らずの者同士がかかわりを持ちづらい世の中です。インターネットの普及などによって、活動や人脈はグローバルになっていく一方で、地元でのかかわり方が疎かになって、学校や職場や家庭といった狭い関係の中でしか成り立っていないケースが少なくありません。若い人たちが積極的に社会参加してくれると自ずと地域の交流人口が向上します。また、若い人たちにとっても学校や職場や家庭以外の人たちとの触れ合いの中で、自分も共同体の一員であると実感することが大切なのではないでしょうか。

東金市の人口は1985年くらいから急増しました。つまり、この期間に一戸建てを求めて当地へ移り住んできた市民が多く暮らしているということかと思います。 みなさんのご近所に永年会社を勤めあげ、最近晴れて定年退職を迎えられた旦那様のいる家はありませんか?お父さんが何十年もの会社勤めで培った技術やノウハウ、経験、人脈というのは、実は地域がいちばん必要としているものかも知れません。しかし、サークルやボランティアに参加しようにも地域のつながりが薄くて機会に恵まれない人も少なくないと聞きました。これは、新旧住民の融合が進まなかったベッドタウンのある自治体の多くが抱える「問題」なのです。 地域の活動にかかわる人の数が増えると、施設の活用頻度が上がります。また、地域におけるニーズや課題に対応したNPOなどのコミュニティ・ビジネスの数は比例して増えていきます。コミュニティ・ビジネスは、地域住民が課題解決に参画するチャンスを広げるだけでなく、官民の協働パートナーとして行政コスト削減にも寄与するもので、大いに歓迎されるべきものです。 昔と違って、いまの60歳代、70歳代の皆さんははまだまだ元気な方が多いです。少子化が進む中、地域の問題は地域住民で解決しなければならないとなれば、そうした元気な先輩方には、培った知恵と経験を活かして、どんどん「地域デビュー」してご自分の得意な分野で活躍していただくことが求められます。 私にもいずれ老後は来ます。医療や介護の心配も大切ですが、生き甲斐と目標を持ってはつらつと暮らしていける環境づくりはもっと大切だと思うのです。

震災の経験から、私はこれからの生き方について次のようなことを学びました。 個人主義が発達した現代では「他人はともかく自分だけは助かりたい」「自分の大切な人だけは助けたい」こう思うのは自然だと思います。しかしいっぽうで私たちは、極限の状況のなか、自分を犠牲にして誰かを救った名もなき市民の逸話を数多く耳にしました。私たちひとりひとりは潜在的に自分や家族も社会の一部であることを知っています。有事において、互いに手を差し出す想いが地域の「絆」を生んだ例をたくさん目にしました。大惨事を目の当たりにして、また報道などで復興を阻む幾つもの問題があることを知るにつれ、自治体、地区、商店街、学校、檀家・氏子など、自分たちの地域はどうだろうかと、共同体のあり方についていろいろ考えさせられました。  日本中、どこにも商店街はありますが、どのまちの商店街も郊外型の大規模店や大手のフランチャイズの進出や、インターネットなどの販売チャンネルの多様化に追い付かずに高齢化を迎え、衰退の道を歩んでいるように見えます。しかし災害に遭ったあと、大手の大型店が同じ場所へ出店を断念する中で、石巻商店街のように地元で古くから商いをしているお店の多くは、その場所で逞しく復興を目指しました。地域にある小さな商店はみな、地域の共同体の一員として生活していて、そこで生き抜こうとする想いを持っているのです。そうした姿に全国から多くのボランティアが駆け付け、たくさんの支援活動が行われました。しがないパン屋を営んでいる私は、地元商店は地元共同体と運命をともにしているのだという想いを強くしました。  震災を通じて、もうひとつ「働く」ことの価値についても教えられました。職場となる会社や店が津波で流され、働き口を失った人がたくさんいました。人生の大半の時間を仕事中心にして生きてきた人の中には、突然仕事を失うと事実を受け入れることが出来ず、生きる意欲さえ失ってしまう人が少なくありません。震災に限らず、不況によってリストラにあってしまった人や、定年退職を迎えた人の中に身の置き場に困って同様の体験をした人もいるのではないでしょうか。 年齢や性別を問わず、社会生活を営む人間にとって「働く」ということは、とても大切なことです。TV番組などで、復興へ向けて頑張る被災者の方へのインタビューの中で「何かやっているほうが気持が前向きになり、落ち着く」というセリフを良く聞きました。私たちは働くことで自分の存在価値や生きる意欲を確かめることが出来ているのかも知れません。私たちの人生において、単におカネを稼ぐという事だけでなく、誰かの役に立つという広い意味での「しごと」を通じて、人と人のつながりを実感することがとても大切なのだと教えられました。

これからの時代は、家庭でも、会社でも、共同体でも全体の体力が落ちていって、入ってくるおカネがどんどん減っていきます。だから、なるべく無駄にならないように、体力を落とさないように、上手におカネを回していかなければなりません。 どんどん保健・医療費が膨らんでいったら、いずれパンクしてしまうのは誰でも想像が出来ることです。そうなる前の対策として、食事の見直しとか、適度な運動とか、早めに病気の芽を発見するとかいった作業が大切になってくることも理解できます。 皆さんの周りに生活改善の成功者というか、先生みたいなひとっていませんか?好きが高じてプロ級、達人の域になっているひと、身近にいませんか?

防災・防犯、安心・安全のしごと。

身体の自由が利かない人やお年寄りの暮らしをサポートするしごと。

子育てしながら働く女性をたすけるしごと。

未来のために地元の自然や文化を守って行くしごと。

学校では教えきれない大切なものを子どもたちに教えるしごと。

 年齢や性別を問わず人手不足はお互いさまで補いあって行くうちに、まちの中にいろんな達人や専門家が出てきて、そういう「生き甲斐しごと」がどんどん生まれてくる。みんなの知恵や経験、人脈を活かして誰かのお困りごとを解消して、自分に出来ることをして、それが、そのひとの「生き甲斐しごと」になって、そのお返しに少しのおカネが回れば素敵だなって思うのです。 これからの時代を考えた時に、医療・介護の充実とか、子育てしやすい環境とか、高齢者に優しいまちづくりとか言いたい事はたくさんあります。でも、そうしたことのほとんどが、多少の予算やきっかけさえあれば、私たち自身でも解決して行くこと出来ることなのです。 上下水や道路、橋梁、公共建物などの改修サイクルやバリアフリーの整備、医療の充実や格差是正のための各種制度の改革など、他にも行政には取り組むべき事が山積みです。行政は地域にあるいくつもの課題をはっきりさせて、民間にできることは民間へ移譲し、解決に向けたアイデアを集める場を作ったり、ヤル気と行動力のある市民に「生き甲斐しごと」の機会をコーディネートしたりすることが出来ないものでしょうか。 かねてから私は、年齢や性別にかかわらず元気なひとが生涯にわたって働いて行ける仕組みが作れないかと思っていました。お互いさまの精神でもって、誰かのお困りごとを誰かが助け、誰かの苦手分野を誰かの得意分野が補完していくことで、それぞれの家庭でも、会社でも、共同体でも無駄のないおカネの回しかたが出来てくる。人生にハリを持たせる「生き甲斐しごと」こそ、健康長寿の秘訣になるような気がするのです。